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捕鯨を巡る雑感
やる夫シリーズの捕鯨のやつを読んで、へー、と思う事が多々あったのでその感想。

まず、捕鯨にはざっくり三種類ある。

一つ目は、沿岸での地産地消型。猪狩るのと同じ感覚。
これは昔から世界中で見られるが、獲れる場所が限られるので、国中でやってます、とかにはならない。生態系へのインパクトもほぼない。ザ•コーブで取り上げられていたのはこれ。クジラというか、取っているのはほぼイルカ。


二つ目は、航海技術が発達して遠くで行うようになった捕鯨。ほぼ採油目的。これもそれなりに歴史があり、世界中で色んな国がちょーしにのって取りすぎ、資源枯渇して衰退するを繰り返して来た。アメリカが日本に開国を迫りに来た時に行っていた捕鯨もこれ。例外に漏れずアメリカも資源を枯渇させ、採油対象となる近海のクジラ類はほぼいなくなる。日本はほとんど関係なし。


三つ目は南極の方で取るやつ。
この頃になると、技術進歩により、どんなクジラも捕鯨対象となる。そして南極での大乱獲が最も洒落にならない。
まず、イギリスとノルウェーがこれでもかという勢いで獲り尽くす。これはほぼ採油目的。そして日本が関与してくる。戦前は採油目的だったが、戦後は食肉目的。この頃から日本にクジラ食が根付く。
科学の進歩によって、鯨油の代替が効くようになったこと、もはや大型のクジラ類が獲れなくなった事を背景に、イギリスとノルウェーは撤退。最終的には日本だけが捕鯨を続けるも、資源枯渇と世界的な鯨保護の流れから捕獲量が激減。現在は調査捕鯨に留まる。


鯨を獲った量でいえば、イギリス、ノルウェーが圧倒的に多い。
しかし、最後にトドメを刺したのが日本であることは事実。

日本が悪いというならば他にも悪い国はいくらでもある。

ただ一つ違うのは、日本だけが今でもまだ鯨を獲ろうとしている、ということ。

それはもちろん、食べる為である。

もはや鯨油にはそれほど価値がない。そして、昔と違い、肉は簡単に手に入る。

それでもなお、鯨を獲る意義があるだろうか?

実は今、鯨の肉は、余っている。
希少価値から来る値段ではなく、マスに乗らないが故の、単純なコスト高から来る値段が、今の鯨の値段なのだ。
むしろ、政府の補助金がいっぱいのっているので、本来はもっと高い。

鯨肉がかつてのように、マスに受け入れられる事はまずないだろう。

故に、今の値段の鯨に価値が見出せないのであれば、そもそも日本にクジラ食の文化が根付いているとは言えないのではないか?

クジラ食は日本の食文化というが、日本全国にクジラ食が根付いたのは戦後だ。しかも、食糧難という事情付き。

では、日本は捕鯨を辞めるべきなのか??

人によって思う所があるだろう。

以下は個人的な思い。

日本はクジラを獲るべきだと思うし、食べるべきだと思う。
そしてそれは単純な産業としてではなく、環境保護の為に。
全く逆の事を言っているように聞こえるかもしれないが、食べるという事で、生き物に関わるというのは、とても良い方法だと思う。
本来、人間が多少のクジラを食べても、生態系には大した影響はないのだ。
それすら出来ないという事は、それだけ地球や生態系がおかしくなっているのだ。

まずは、十分に個体数があり、食べる事が許されるクジラ類から食べる。
そして、食べる事が出来ない、絶滅寸前のクジラ類に、思いを馳せるべきでは無いか。どうしたら、それらを食べれるまで、個体数を回復させられるか考えるべきではないか?

可哀想も、歪んだナショナリズムも、どちらも思考停止である。

生き物への関わり方は人それぞれである。ただ、何と無くの可哀想に、どれだけ真剣味があるだろうか?

たかが鯨、されど鯨である。

鯨は大海の象徴であり、地球の殆どは海なのだから。
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[2014/06/16 00:51] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
多次元の影とキュビズム、コミュニケーションの曖昧さ
洞窟の比喩
http://ja.wikipedia.org/wiki/洞窟の比喩

私たちはイデアの影を見ているに過ぎない。
そもそもイデアって何だよって話ですが、高校生の時はこの考えに妙に納得してしまった。
確かに、自分たちは影を見ているだけではないか、漠然とそう思った。


時は巡って大学生。
テレビに映るはNHKスペシャル「数学者はキノコ狩りの夢を見る〜ポアンカレ予想・100年の格闘〜」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011027278SA000/


理系の学生には金を払ってでも是非見て欲しいけれど、まぁそれはまた別の話。


この話の途中で、射影の話が出て来る。
三次元の射影は二次元になり、二次元の射影は一次元になる。
高校数学でも正射影という言葉でお馴染みのはず。

例えば、球は横から見ると円に見える。
または、人の影は輪郭だけを残した平面になるといった方がわかりやすいか。

このように多次元の物体から一部の次元だけを抽出するのが射影である。

私達は、立体を見る時、三次元を正確に認識しているわけではない。
私達の目の前に広がる世界は、いつだって二次元の情報としてインプットされる。
そして二次元の情報を組み合わせて、三次元の世界を頭の中に構築するのだ。



話が二転三転するが、自分のお気に入りの絵画はセザンヌの「リンゴとオレンジ」で家にはレプリカが飾ってある。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/cezanne_pommes.html

素晴らしい絵だと思うが、実は、こんな絵は”存在し得ない”のだ。
というのも、この絵は複数の視点から見た光景を一つにまとめあげたものであり、こんなふうにリンゴがテーブルの上に存在する事はありえないのだ。
しかし、誰かに指摘されない限り、私達の多くはそんな事には気付かず、この構図を優れたものであるとして違和感なく受け入れる事だろう。


セザンヌは多くの画家に影響を与えたが、その中にはピカソとブラックがいた。
彼等はそこから「キュビズム」という新しい絵画様式を切り開いて行く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/キュビスム

キュビズムでは、対象を一度複数の視点からバラバラにし、キャンバスの上で再構築する。


認識とは、まさに同じプロセスを経るものではないだろうか。
私達は立体を二次元として取り込み、頭の中で三次元として再構築する。


目の前の空間に存在するものに限れば、三次元で全て事足りるだろう。
しかし、私達の認識の対象は、それだけに留まらない。

私達は時としてもっと曖昧なものも認識する。
それは感情であったり、形而上学的なものだったりする。

私達は確かに何かを伝えようとし、一方でそれを認識しようとする。
それこそがまさにコミュニケーションだろう。

私達はコミュニケーションの為に様々な方法を用いる。
しかし、私達が何かをを誰かに見せる時、結局の所、受け手に映るのは対象の影なのではないだろうか。

そう、私達が見ているのは、イデアの影なのだ。

だからこそ、私達は様々な方法で、様々な影を見せようとする。
受け手の中で、一次元上の、対象の本当の姿を構築して貰う為に。

影の数が足りなければ、私達は対象の本当の姿を取り違えてしまうかも知れない。

また、いくつも影が集まったとしても、それは対象の姿を推し量る材料にこそなれど、決して対象そのものになる事はない。私達はどんなに影をより集めても、決して本物を手に入れる事は出来ない。

だからこそ、コミュニケーションはいつだって曖昧なのだと思う。
[2012/04/29 03:33] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
英語なんていつでも学べるなんて思うな
約一週間程、企業のインターンシップで上海に行って来ました。
名前を出すのは問題になりそうなので某ITベンチャーとだけ言っておきます。
インターンシップが有名な所です。

今までは国内インターンシップしか行っていなかったらしいのですが、今年から国内インターンシップの成績上位者を対象に海外インターンシップを始める事になったらしく、第一期生として参加させて頂きました。

上海では中国の大学生とチームを組み(会話は英語)、グループワークを行いました。

単刀直入に言うと、自分の英会話能力はあまりに稚拙なもので、貴重な機会をふいにしてしまったというのが実際のところです。

中国の学生は皆、英語が堪能であり、優秀な学生が多かったです。
もし、英語が十分に話せていれば、多いに新しい知見を手に入れるチャンスになったと思います。

自分は、英語なんていつでも学べるだろう、社会人になって金持ちになったら英会話スクールにでも通おうと思っていました。しかし、それは大きな間違いです。

学生は少しでも早く英語を学び、海外に出るべきだと思います。
海外に行くのは今回が初めてだったのですが、海外に行って改めて日本の快適さや優れた点を感じました。
しかし、日本があまりに快適だからこそ、日本の学生からは欠落してしまった意識が多くあると僕は思うのです。


ビジネスは戦いです。敵を知らずして敵に勝つ事は困難です。
また、戦いと考えなくても、他者と共存する為には他者を知る事から始めなくてはなりません。
そしてなにより、自分と違う角度から物を見ている人と意見を交わす事は、自分を大きく成長させる機会になるはずです。

よって、日本の学生は少しでも早く英語を学び、海外の大学生と交流を図るべきだと思います。

もちろん、国内で自分の軸を形作っている事が前提条件ではありますが。
(ただたんに海外に行きたいというだけ、とか、英語さえ話せればいい、という学生はどうも好きになれません。)
[2012/04/01 01:07] | 学習 | トラックバック(1) | コメント(1) | page top
エネルギーはどこからやってきてどこに消えるのか
福島第一原子力発電所の事故はなかなか収束の兆しを見せず、汚染の被害も拡大する一方です。

制服向上委員会が脱原発の歌を作ってしまうくらいに、世間は脱原発へと動いている気がします。

そもそもエネルギーって何なのか、何故原発が必要だったのか。

この世界にはエネルギー保存則というものがあって、エネルギーが突然生まれたり消えたりする事はありません。
エネルギーは様々な形(熱エネルギー、化学エネルギー、運動エネルギー、電気エネルギーなど)を取る事が出来ますが、その総量は変わらないのです。

人間にとって必要なエネルギーはまず化学エネルギーでこれは食べ物から取り込んでいます。
食べ物から得られる化学エネルギーがなければ人間は生きて行く事ができません。

人間はただ生きて行くだけでは飽き足らず、生活に豊かさを求めます。
その時に主に必要になってくるのが電気エネルギーです。

電気エネルギーは家電などの電化製品を動かすのに必要なもので、電気エネルギーは使用すると熱エネルギーに変わってしまいます。

エネルギーは最終的には全て熱エネルギーへと変換されます。

熱エネルギーが必要になる事もありますが、人間にとって有用なエネルギーは主に電気エネルギーなので、熱エネルギーが増えても嬉しくありません。

全てのエネルギーが熱エネルギーに変わってしまうのだとしたら、長い地球の歴史を考えると既に地球上のエネルギーは全て熱エネルギーに変わってしまっていそうなものです。

しかし、実際は違います。

地球には太陽から光エネルギーが降り注いでいます。同時に、熱エネルギーが地球から宇宙へと放出されています。

通常はこのエネルギーが釣り合っているので、地球では熱エネルギーがなくなった分だけ、光エネルギーがやってきているのです。(地球温暖化はこのバランスが崩れる事で起きると言われているけれど、それはまた次の機会に)

光エネルギーも放っておけば熱エネルギーに変わります。ひなたぼっこしてると体が暖まりますよね?
それと同じです。

しかし、植物を始めとする光合成を行う生物は、光合成によって光エネルギーを化学エネルギーに変換出来るのです。

植物ってすごいんだよ!!!

二回いうけど、植物ってすごいんだよ!!!

人間を始めとする全ての動物(従属栄養生物)は植物(独立栄養生物)が光エネルギーから変換した化学エネルギーを消費して生きています。

そして、人間は食べ物だけでなく、電気エネルギーにおいても、植物のお世話になっているのです。

植物が変換した化学エネルギーは、気の遠くなるような時間をかけて、石油や石炭などの化石資源に姿を変えました。

そして人間は、原子力発電を始めるまでは、この化石資源の化学エネルギーを利用して電気エネルギーを作り出して来たのです.

つまりは、(太陽)→光エネルギー→(植物)→化学エネルギー→(長い時間)→石油、石炭など→電気エネルギー
といった感じです。

植物がながーーーーい時間をかけて光から蓄積してきたエネルギーを、人間は電気エネルギーに変換して使っているのです。

電気に変えなくても、自動車など石油(ガソリン)を直接利用している場合もありますね。

ともかく、人間は化石資源からエネルギーを取り出して使用する事で、格段に豊かな生活を手にいれました。

しかし、これには問題が二つありました。

一つは、化石資源が有限だと言う事です。

どんなに便利な化石資源でも使えばなくなってしまいます。
そして、それらはとても長い時間をかけて作られたものなので、もう一度作り直す事は極めて難しいのです。

二つ目は、地球温暖化です。

植物は、光エネルギーを化学エネルギーに変換する際に、二酸化炭素にエネルギーを溜め込んで有機物(でんぷんとか)を作ります。
つまり、植物は地球にあった二酸化炭素をせっせと有機物に作り替え、その成れの果てが化石資源なのです。

化石資源を消費すると、二酸化炭素を放出する事になります。
二酸化炭素は地球温暖化の原因になると推測されています。よって、地球温暖化を防ぐ為には、化石資源は使えないのです。


以上の問題から、化石資源にばかり頼った生活は見直さなくてはならないという声が出て来ました。

そして、化石資源の代替策の一つが原子力なのです。
(二つ目の問題が出て来たのはずっと後なんですが、原子力ルネサンスの後押しとなりました)

始めにエネルギー保存則の話をしましたが、アインシュタインは更にそこから大発見をしました。
質量(重さ)とエネルギーは同じものであると気づいたのです。

つまり、重さもエネルギーの形の一つだと気づいたのです。

なんのこっちゃねん、って話ですよね。

しかし、この発見は地球上の質量をエネルギーに変換出来れば、ほとんど無限のエネルギーが手に入るという可能性を意味しているのです。

しかし、今の人間にはどんな重さもエネルギーに変換出来るという訳ではありません。

それでも、核分裂を起こしやすい核種(ウランやプルトニウム)を利用すれば、質量からエネルギーを取り出せる事に人間は気づきました。

それが原子力発電の根本の原理なのです。

ウランやプルトニウムも有限で、使用後には二酸化炭素よりもずっとやっかいな放射性物質ができるという問題はあったのですが、化石資源の問題(残りの量、地球温暖化)の方がより逼迫した問題ではあるので、原子力発電はある意味救世主かも知れません。

しかし、できれば原子力を使わずに済むならばそうしたい、というのが今の国民の総意だと思います。

最後に、再生可能エネルギーに言及したいと思います。

再生可能エネルギーとは、使ってもまた新しく手に入るエネルギーです。
しかし、先ほど言及したように、エネルギーには保存則があり、外からやってくるエネルギーは光エネルギーだけなので、基本的には光エネルギーが巡り巡って変化したものです。

一番わかりやすいのは太陽光発電。これは最後にまわします。

水力、風力はそれぞれ水の位置エネルギーや風の運動エネルギーからエネルギーを取り出すのですが、風や雨といった地球規模の運動は、太陽光に熱せられた生じる上昇気流や、海水の蒸発、地球の自転、月の引力などが複雑に関係して生じていると考えられます。
しかし、外部から新たにもたらされるエネルギーは光エネルギーだけなので、結局は形を変えた光エネルギーで発電しているのだと思われます。(月と地球の位置エネルギーを消費していると考える事もできますが、、、ちょっとそこまではわかんないっす)

水力発電はそこそこ効率がいいのですが、ダムは明らかな自然破壊です。

山、川、海という生物の経路を分断してしまうので、環境保全の観点からはない方が好ましい。

風力発電は、ムラと騒音と景観が問題だと言われています。風が吹かない所では発電出来ませんし、日や時間によっても左右されます。騒音や景観は洋上に立てれば問題ないという主張もあります。

風が吹く地域で、電気にある程度のコストをかけても良いという人達には、悪くない選択肢だと思います。

しかし、あくまで電気のいくらかを担えるかもという位で、根本的な解決策になるのは難しそうです。(でも、地域によっては風が強い日は全て賄う事も可能らしいです。)

次は地熱発電。地熱は温泉を使うものと、地下まで掘削して地熱を取り出すものの二つがあるようです。
どちらも、地球が出来たときから放出し続けているエネルギーを利用するので、光エネルギーは使いません。
温泉は温度が低いので発電効率もよくないですし、温泉街との争いになる為、日本ではあまり普及しなかったようです。掘削するタイプはまだまだ技術が未熟で、実用化までは遠く、さらに熱源をずばりあてれるのかという不安もあるようです。
技術的には未熟ですが未来への期待は大です。しかし、日本はほとんどこの研究にお金を使って来なかったらしく、実現の為には今から頑張らなくてはなりません。
個人的には、地下から熱奪ったらどうなるか、というのが不安です。誰もやった事がないので何も起こらないとは言い切れないですよね。

次はバイオマス発電。
これは植物に光合成させて、光エネルギーを化学エネルギーに変えて、それを燃やして発電しようというものです。
この問題は、コストと土地です。
エネルギーの流れは石油と同じですが、石油は植物が何年(何十年、ひょっとしたら何百年?)もかけて光合成したものを1年に使っている訳で、植物が1年で溜め込めるエネルギーなんて微々たるもんなんです。
そして、植物を育てるのは大変な事です。種まいて、水やって、収穫して、それで得られるエネルギーはわずかなので、たくさん植えなくてはなりません。風待ち、雨待ち、温泉待ち、とはコストが違います。
スーパー藻類やスーパー植物でもない限り、現実的ではなさそうです。それに、地球上の農地だって限られています。
しかし、メリットとして、エネルギーを備蓄できるという点があります。効率を求めなければ、山林などで木を育て必要な時に利用するというのはありかもしれません。特に、熱エネルギーとして利用する分には良い選択肢だと思います。


長くなりましたが、最後の最後に太陽光発電です。

これは直接光エネルギーを電気エネルギーに変換するので、地球に外からやってくる唯一のエネルギーである光エネルギーを、人間が必要としている電気エネルギーに変換するという意味では最も効率的だと思われます。

原料も主にケイ素であり、これは大地にありふれているので枯渇の心配がありません。
しかし、日光が出ていないと発電が行えず、解決策は蓄電くらいしかなさそうです。



長々と書きましたが、エネルギーの流れは光エネルギーから始まって、熱エネルギーとして出て行くのが基本です。
光から熱に変わる過程でいかに、人間に有用な形としてエネルギーを取り出すのか、がポイント。

長期的な視野からすれば、化石資源や原子力からは脱却すべきでしょう。
しかし、再生可能エネルギーも一長一短なのでいますぐ全てを変えるには無理があります。
それに、答えは地域によっても違うと思うんです。

ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございます。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2011/07/25 00:46] | エネルギー | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
日本の未来を考える
日本の一人当たりのGDPって何位だっけと思って調べてみた。

http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html
(2010年世界の一人当たりのGDPランキング)

(日本16位、アメリカ9位、スイス4位、フランス18位、イギリス22位、韓国34位、中国93位、ルクセンブルグ1位)
上に挙げたチョイスは適当です。

日本もまだまだヨーロッパと対等か、スゴいねってのが一番の感想。
ついでに世界ランキングの推移も載せとく。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4542.html

1990年代初頭をピークに、そこからガクッと下がってるのがわかる。
そしてその勢いは止まらない、もしくはもっと加速するんじゃね?っていう指摘もある。赤字国債でごまかしごまかしやって来た事を考慮すると、経済衰退はもっとすごくなりそうだ。

そんな中で驚いたのは、ルクセンブルグの豊かさ!
人口が少ないじゃん、って言ってしまえばそれまでだけど、小さければ豊かになるなんて理屈はない。
これはルクセンブルグの経済が成功している紛れもない証拠。

って事でwiki。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルクセンブルク

ほぼ理想の国家じゃん!!!w
そして、日本も見習うべき所が多々あるのではと思った。

こっからは自分の意見!
国策って非常に大切だと思う。今、原子力ばかりに力を入れ過ぎていた事が批判の対象になっているけど、それも国策の一つの結果。 ルクセンブルグが成功したのも、どうやら国策の成果による所が大きいようだ。
これからやってくる20年も、日本経済衰退の20年だと言われている。 20年後に日本が盛り返す為には、今から20年後の日本について真剣に考える必要があるのではないだろうか。

自分もそうだけど、私たちは他国の国策についてどれくらい知っているだろうか?

そして、どれくらい日本の国策について考えているだろうか?

未来はやってくるものではあるけれど、考えようによって作るものでもあると思う。
20年後、日本をどのような国にしたいのか、ちゃんと皆で話し合うべきじゃないだろうか。 赤字国債の問題も、高齢化の問題も、解決して行かなくてはならないのだし。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

[2011/07/21 02:21] | 日本経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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